個人トレーナーとして藤浪投手と渡米。今再び、単身メジャーへ。

スポーツ健康分野

2025.12.22

個人トレーナーとして藤浪投手と渡米。今再び、単身メジャーへ。

  • 木下 喜雄さん

    MLB アスレチックス 所属

    アスレティックトレーナー学科/2004年卒業

チャンスをつかむために、 絶えず「準備と挑戦」を続けてきました。

ご自身も退路を断ち、藤浪投手のメジャー挑戦に帯同されました

阪神タイガースとは次年度の契約も残っていたのですが、藤浪投手から声をかけられ、個人トレーナーとしてメジャーに帯同する道を選びました。最悪、藤浪投手のメジャー挑戦が失敗して、自分も職を失うリスクがある時期に決断したので、周りからは心配されました。でも、不安より挑戦したい気持ちが勝ち、外に出て新しい視点を広げたいと考えました。 少年野球に入っていた息子たちの応援も大きかったです。息子たちが大人になるころには、今よりもっと海外が身近になる。だから親として小さいうちから「海外で挑戦する姿」を見せておきたいと思いました。

最初の渡米での収穫は?

アスレチックス、オリオールズ、メッツの三球団に帯同し、藤浪投手の専属マッサージセラピストという肩書きでメジャー生活をサポートしました。各球団のアスレティックトレーナー(ATC)がメイントレーナーとしてチーム全体のコンディショニングを担う中、私はATCと連携しながら藤浪投手の治療やケア、コンディショニング、トレーニング、時にはキャッチボールの相手もしました。藤浪投手と過ごす時間が長く、球場の行き帰りや食事も一緒。距離の取り方が難しかったのですが、チーム専属のころより自分の時間を持てたのは大きな収穫でした。

日本と違ってメジャーのトレーナー業務は非常にシステマティック。自分の仕事をまっとうすれば後は自由、という感じで、本意でないことは「やらない」という選択もアリなんだと気づかされました。今何をすべきか、どういう選択がいいのか、自問自答する時間があって、今後のキャリアをよく考えるようになりました。

帰国後、アスレチックスから直々にオファーされました

私のビザの関係で藤浪投手との専属契約を解消してからは、阪神タイガースの選手のオフシーズン自主トレに呼ばれたり、横浜DeNAベイスターズの外部協力者として二軍キャンプのサポートを行ったり、フリーのトレーナーとして活動していました。

鍼灸院も開業して、さあこれから!というときに、アスレチックスのリハビリコーディネーターから「マッサージセラピストの欠員が出たので来てほしい」と連絡があって。藤浪投手の専属時代に他の選手の治療やケアもしたことがあり、私のやり方を理解してくれていたのと、ATCも自分とは違う視点を取り入れたいと考えていたのが、オファーにつながったのでしょうか。英語が得意ではないのですが、積極的にコミュニケーションを取ろうとする姿勢も評価されたのかなと思います。

実は、どんなオファーにも自由に動けるように、鍼灸院はランニングコストを考えて自宅で開業しました。なんでもやってやろうという気持ちでいたので、今は店を閉め、通訳なしの単身渡米に挑戦中です。

世界トップで活躍する秘訣は?

「準備と挑戦」この二つをずっと大事にしてきました。思い返すと母校の先生から「常に前向きに準備せよ」と教えられて。「常に前向きに」とプリントされた学科Tシャツまでありました。卒業後に鍼灸師の資格も取ったことが、ATと鍼灸師のWライセンスが公募条件だった北海道日本ハムファイターズへの入団につながりましたし、チャンスをつかむための準備は絶えずしてきたつもりです。

今はいろんな情報が飛び交う時代で、選手たちのキャッチアップも早い。だからこそ、トレーナーとして常に技術を高め、自分自身をアップデートしていく必要がある。そのためには挑戦し続けないといけないと感じています。

木下 喜雄さん

MLB アスレチックス 所属

アスレティックトレーナー学科/2004年卒業

卒業後、鍼灸師の資格も取得。ラグビーチームを経て、プロ野球の北海道日本ハムファイターズと阪神タイガースでチーム専属トレーナーを務める。阪神タイガースからメジャーリーグに移籍した藤浪投手の個人トレーナーとして2年間帯同。帰国後、大阪で鍼灸院を開業するもアスレチックスからオファーを受け、マッサージセラピストとしてチームに復帰。