【卒業生座談会】アスレティックトレーナーが語るスポーツを仕事にする喜び
実施日:2012年9月29日(土)
会場:大阪医専 総合校舎
本学ではアスレティックトレーナー(以下AT)試験において、抜群の合格実績を誇るとともに、鍼灸学科や柔道整復学科などへの進学によって、はり師・きゅう師、柔道整復師といった医療系国家資格も取得できるなど、スポーツ業界を目指す人に独自のキャリア形態を提示しています。
ATあるいは理学療法士(以下PT)として、スポーツ・医療の業界で活躍中の卒業生が母校を訪問し、教官とともに語り合いました。
出席者
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高村病院 勤務
アスレティックトレーナー/理学療法士
廣岡 敬三さん
アスレティックトレーナー学科2004年卒
理学療法学科2008 年卒 -
小西病院 勤務
アスレティックトレーナー/はり師・きゅう師
春木 淳二さん
アスレティックトレーナー学科2004年卒 -
済生会吹田病院 勤務
アスレティックトレーナー/はり師・きゅう師
佐藤 哲史さん
アスレティックトレーナー学科2005年卒 -
ラグビートップリーグ近鉄ライナーズ トレーナー
アスレティックトレーナー
秦野 洋輔さん
アスレティックトレーナー学科2007年卒 -
渡辺接骨院 勤務
アスレティックトレーナー
山本 大輔さん
アスレティックトレーナー学科2005年卒 -
関西学院大学 ラグビー部
大阪商業大学 サッカー部 等 トレーナー
アスレティックトレーナー/はり師・きゅう師
長瀬 亮昌さん
アスレティックトレーナー学科2005年卒 -
アスレティックトレーナー学科教官
アスレティックトレーナー/柔道整復師
市川 智久 -
アスレティックトレーナー学科教官
アスレティックトレーナー 和田 圭司
トップチームで活躍していくために、必ず必要となってくるアスレティックトレーナーの資格。
今後、さらにニーズが増していく仕事。
和田皆さんは今、ATとして現場で活躍中ですが、実際に現場へ出てみて、ATという職業に対する認知度をどう感じていますか。
廣岡僕はATとPTの両方を大阪医専で取得して、現在は病院に勤務しています。病院内では「ATって何をする人?」という反応がまだ多いですね。
春木廣岡さんと同期生ですけど、当時はATといえば「車のこと?」といった反応で(笑)、誰も知らないような職業でした。実はPTになることも考えたのですが、色々と資格を調べてATのことを知り、これがまさにやりたい仕事だったのです。
佐藤僕も病院勤務です。当時は、それほど浸透していない職業だったので、ATの仕事を自分から見せていくようにしたんです。すると周囲がスポーツの専門家という見方をしてくれるようになって、ドクターも色んなことを相談してくるようになりました。
和田それは大切だね。PTや鍼灸師、柔道整復師は皆知っているけど、とりわけATは自分から発信してく姿勢を持ってほしい。要するに他職種の方は、ATに対して何を頼むことができるのか、わからないことが多いからです。だから主体的に発信する力がないと信頼関係が構築できない。
秦野信頼関係はこの仕事の軸だと感じます。僕が所属するラグビートップリーグの近鉄ライナーズは社会人のチームなので、自分が若手選手と同じような年齢です。だから、上の世代の選手からいかに信頼を得るかがとても重要です。
市川それぞれ明確な特色をもって、自分でなければできないというポジションを築いていってほしいですね。スポーツ選手の間で評判になれば患者さんも増やせるし、病院経営の観点からも大事な存在になれる。
廣岡ATのニーズは、もっとあるはずです。スポーツに関与しない病院も少なくない一方、どの地域にも学校はあって、クラブ活動やスポーツでの故障などで困っている人は大勢います。病院にPTがいたとしても、スポーツを勉強していないPTだったりすると、スポーツは別分野なんです。そこにスポーツの専門家として飛び込んでいけば、ATにしかない職能を認めてもらえるのではないでしょうか。

市川チーム医療を根幹から学んでいる本学の卒業生なら、ATの存在価値がよくわかっているんだけどね。医療機関で多くの卒業生が活躍しているのは本学ならではの特色であると同時に、社会的役割だと思う。山本くんの勤務先はスポーツ選手の間では定評のある接骨院だよね。
山本はい。地域密着型の接骨院です。地域密着という点はとても重要です。たとえば公立学校の学生さんなどは、トレーナーに付きっきりになってもらえるような環境ではないですし、そんな選手の方がはるかに多い。接骨院のような地域密着型の業態でないとできないサポートがあります。
和田スポーツの現場はどうですか。ATは足りている?
長瀬関西学院大学ラグビー部は選手だけで150人位いる大所帯で、AT分野は僕一人です。合宿時には1日で30人ほど治療しますので、残念なことに、どうしても1人あたりの時間は短くなってしまいます。そこで力を入れているのが、学生トレーナーの育成です。学生から募集して、トレーナーとして教育していく。僕が拾い切れない部分は指示を出して、情報を共有する。この仕組みがあるので、大所帯の割には選手の状況は把握できていると思います。
佐藤学生トレーナーの育成は大切ですね。僕がみているサッカーチームは3つ。いずれも100人を越えていますから、学生トレーナーに頼ることも多くなります。かつては僕がすべてみていたのですが、今は手術などが必要なものだけに限って対応しています。グランドレベルで対応できるケガだったり、近隣の接骨院にお願いできたりといったものは、僕が対応しなくても大丈夫な仕組みを作っています。
市川まあ、手が足りないよね。Jリーグだってトップチームに所属するATは1チームに3人程度ですから。でもニーズは確実に増えています。サッカーをはじめ女子スポーツの裾野が広がっていますから、とくに女子のATは求められるでしょう。さっき、ATを知らない人が多いという話題になったけど、僕の時代なんてもっとそうだった。まだJ リーグもない時代でしたから。でも当時ヨーロッパに行って印象的だったのがATの社会的地位がとても高かったこと。日本だっていずれそんな時代が来ると感じました。現在では、トップチームのトレーナーとして活躍していくためには、AT資格を持っていることが一番必要な要件になっています。
最初は苦労しても、返ってくるものが大きい。
和田皆さんは今、ATとして立派に活躍されています。しかし、簡単に現在のポジションを得たわけではありませんね。やりたい仕事にたどり着くまでのプロセスはどうでしたか。
廣岡僕は勤務先が病院ということもあって、駆け出しの頃から割に安定した給与を得ながらAT・PTとして活動できました。恵まれていたと思います。
秦野最初は給料もそれ程高くなく勤務時間も長かったですね。実家に住んでいましたので、その点は助かりました。でもこの業界を目指す上で、お金のことばかり考えていてはダメだと思います。今は経済面では問題なくやれています。今年結婚もしましたから。
一同おめでとう!
春木僕は脱サラで、大阪医専からこの世界に入りました。サラリーマン時代の蓄えと、あとは日々の節制を頑張っていました(笑)。
和田そういう甘くない状況でも、そこで頑張れば先が見える手応えはあった?
長瀬学生時代、机の上での勉強は頑張った自負がありました。でもその知識をどう現場で生かすかは別問題。スタートは接骨院でしたが、まさに自分が学びたいことがこの現場にあると感じた。その意識があったから頑張れたんだと思います。
市川最初は苦労しても、この世界は返ってくるものが大きいんです。僕にもそんな時期がありましたが、全然苦にならなかった。渋谷あたりで遅くまで遊んでいる若い人をみて、こいつらより絶対成功してやると思っていたよ(笑)。
和田学生時代に皆さんが苦労した点は、やはりATの資格対策かな。何といっても難関資格です。ですが、ATは他の国家資格のように対策の資料が豊富に揃っていない。おまけに試験内容がめまぐるしく変更される。勉強はどう進めましたか。
秦野実技で落ちる割合が高い試験なので、現場で学ぶ時間を大切にしていました。
山本学外実習で現場に出ていましたので、好きなだけ現場から学べたのが大きかった。日々の座学が大切なことはいうまでもないのですが、座学だけでは絶対に受からない試験です。座学と現場。このバランスが大事でしたね。
市川AT資格の学習には、現場で見たり聞いたりを繰り返してエビデンスを付けていく必要があることは繰り返し言っていたよね。そのために早くから現場で学ぶことを指導上で今も促しています。
和田本学でATを取得した上で、鍼灸学科や柔道整復学科に再進学してWライセンス、トリプルライセンスを取得し、活動する卒業生も結構いますね。廣岡くんなんて、ATとPTを本学で取得した。
廣岡はい。最初にATを取って、どうしても人間の身体を一から学びたいという想いが出てきまして。結局18歳から25歳まで、大阪医専で7年間勉強しました。
春木ATとはり師・きゅう師の両方を持っていると、アプローチの幅が広がるんです。もっと奥の筋肉を緩めたいときや肉離れの早期治療などの際、鍼を持っているからこそできる深い治療はありますね。
佐藤僕の場合、あらかじめはり師・きゅう師の資格を持っていて、ATを取るために大阪医専に入学しました。当時ATの有資格者はまだ全国に300人程度で、誰に聞いても「その資格、何?」という感じ。はり師・きゅう師だけでトレーナーを務めている人もいるし、そんな資格不要ではないかという人もいたのですが、僕は自称・トレーナーというのが嫌だった。大阪医専で学んだことは正解で、ATを取得したことで、トレーナーの専門職になったという自信も付きました。
山本僕はAT一本。ATだけでどこまでやれるのか。その部分を追求していきたいと思っています。
大きな感動を味わえるのは、この仕事ならでは。
廣岡さっき市川先生が「自分でなければできないポジションを築け」といわれました。僕の場合、スポーツを切り口にすることで仕事の可能性を広げていきたいと思っています。病院でPT だけに従事していたら院内での仕事しかできません。しかし、スポーツを打ち出せば活動の場を病院の外に広げられるし、そのことが地域貢献になり、信頼を得ることで患者さんが増え、病院経営にも役立てます。これからもスポーツという切り口をもって仕事の幅を広げていきたいと思います。僕たちが創出できる仕事はまだまだある。生涯、この仕事で頑張るつもりです。
山本この仕事は、何といっても「感動」がある。スポーツの醍醐味を一番近くで体感できる仕事じゃないでしょうか。
春木その通りですね。プレイヤーには年齢的な限界がありますが、トレーナーはいくつになっても感動を味わえます。

長瀬最近あったことなんですけど、ある選手が大ケガをして、次のシーズンに間に合せるには期間的にも症状的にも厳しい状況でした。でも大事な試合に何とか間に合い、大活躍してくれたんです。試合後、普段感情を出さない彼が「ありがとうございました!」と泣きながら抱きついてくる。もうトレーナー冥利に尽きるというか、この瞬間を味わいたくてトレーナーになったんだと再確認しましたね。
市川選手がピンチ、修羅場を迎えたとき、ある意味、監督やコーチよりも近い位置にいるのがトレーナーだから。ギリギリのところで出場している選手が活躍したときの達成感は本当に大きい。
長瀬大阪医専以外の友人には、普通にサラリーマンをしている人も多いけど、仕事でここまで感動的な体験をする機会はそうないんじゃないでしょうか。
佐藤夢を持って頑張る人をサポートできる仕事。僕はこの仕事を誇りに思います。
秦野選手と二人三脚で取り組んで、選手から感謝してもらえることも喜びですね。よくスポーツ選手には向上心が大切だといわれますが、我々トレーナーにこそ向上心が必要だと思います。もっと勉強していかなくては。
廣岡その通りですね。僕は何か仕事で困ったことがあれば、大阪医専の先生や仲間に相談しています。
市川どんなことでもいいから、困ったときにはいつでも相談に来てよ。皆さんとは教官と卒業生という関係にとどまらず、同じスポーツの世界で生きる仲間として末永く付き合っていきたいと思います。今日はどうもありがとう!