障がい者競技で日本代表候補を目指す「理学療法士」
- 河内 広樹さん
- 理学療法士/総合東京病院 リハビリテーション科 勤務
- 理学療法学科 2017年卒業
3歳の頃から義足…走れないという思い込みがくつがえった
――障がい者競技を始めたきっかけを教えてください
中学生の頃、義足の陸上チームがあることを知った父親に連れて行かれたのが最初です。練習は月1回のペースで、当初は競技というよりもただ走るだけでした。それでも楽しかった。義足生活になって走れないといわれて育ってきましたので、僕にとって、できないはずのことができたという体験でした。それでも競技者になる意志はとくにありませんでした。転機は高校進学。高校が部活必須だったので、陸上部を選んだのが本格的に競技に取り組むきっかけとなりました。
高校時代の主な大会成績は「東京2009アジアユースパラゲームズ」の百メートルで銅メダル、「2010千葉国体全国障害者スポーツ大会」の百メートルで銀メダルなどです。決して陸上の強豪校でもないし、こんなに早く成果が出たのは不思議な感じでした。メダルをもらってうれしいという実感はあまりなく、“世界”という次の目標を持つきっかけになりました。
――なぜ理学療法士を目指して首都医校に進学されましたか
義足になってから歩行訓練などで理学療法士によるリハビリを受けていたため、仕事内容をイメージしやすい職種でした。競技との関連はまったく考えていませんでした。純粋に職業として選択したのですが、理学療法の知識が競技に還元される要素もあることを学びました。人体のしくみを勉強したおかげで、どこを鍛えればいいのか、どんな練習が有効なのか、あるいは強化ポイントを踏まえて試合日から逆算してスケジュール管理をするといったことに、理学療法の知識を適用できるようになりました。でもそれは最近の話で、在学中はただ授業や実習についていくのに必死でした。
――在学時、印象に残っている出来事はありますか
臨床実習でやらかしたことです(笑)。そこでフォローしてくださったのが担任の先生でした。学生が失敗しても温かくサポートしてくださり、今の自分があるのも先生のおかげだと感謝しています。クラスは個性派ぞろいでユニークな人が多かったですね。年齢層が多彩で、世代を超えて学べたことがいい刺激になりました。社会人経験者も多く、皆さん色々と気にかけてくださいました。
総合東京病院には首都医校出身の理学療法士が数多く勤務しています。先輩や仲のいい同期の存在は、精神的な支えにもなっています。
――現在のお仕事の状況を教えてください
現在は外来の患者さんのリハビリテーションを担当しています。入職当初は、患者さんをよくしたいという思いが強すぎて、ついペースを上げてしまうことが多かったのですが、今は患者さんをあまり疲れさせないように心がけています。今後も患者さん個々のペースに合わせながら、希望に添えるリハビリをしていきたいと思います。まだ新人なので仕事を楽しむ余裕まではありませんが、最近では慌てることはなくなりました。課題は周囲をよく観察することです。目の前の患者さんだけに集中するのではなく、周りの状況にも注意を払い、必要に応じて手助けをしたり、声をかけにいったりする機転も必要だと先輩から助言されています。
――競技者としての現状を教えてください
学生時代は実習などで忙しく、なかなか競技との両立はできなかったのですが、現在は仕事と並行して練習に励んでいます。ありがたいことに病院側も全面的に応援してくださっていて、上長から「東京都 パラリンピック選手発掘プログラム」という都の事業を紹介されたほか、朝礼時に総合東京病院の名前入りユニフォームを院長から贈呈していただきました(写真)。
最初に陸上競技を始めたときは、ただ走ることが楽しいという感覚でした。そのことには変わりないのですが、今は皆さんの応援という昔とは違うものを背負うようになりました。プレッシャーはありますが、それを力に変えて、日本代表候補を目指していきます。
――将来の目標は何ですか
まずは障がい者競技において、日本代表候補に選ばれること。現在、来年のパラ陸上に出場するため準備中です。高校時代に銀メダルと銅メダルを獲りましたが、まだ金メダルはありません。来年の大会で金を獲得して、日本代表候補に向けて弾みをつけたいと考えています。
もう一つは長期的な目標として、義足リハビリテーションにも携わることです。義足生活者がよりスムーズな日常生活動作が行えるように支援し、生活の質の向上につなげます。その結果、僕と同じように走りたいという意欲を持ってくれる人が現れたら、とても嬉しく感じることでしょう。
※卒業生会報誌「i(アイ)」20号(2017年11月発刊)掲載記事