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JICA青年海外協力隊体験者 対談「医療人の知識・技術は国境を越える。」

リハビリ分野
小竹 里佳さん(上写真:左)
理学療法士/京都下鴨病院 勤務
理学療法学科 2008年卒業
丸本 裕子 教官(上写真:中央)
作業療法士/大阪医専 教官
作業療法学科 2005年卒業
寺村 晃 教官(上写真:右)
作業療法士/大阪医専 教官
作業療法学科 2007年卒業

「医療人だから描ける未来がある」をテーマに刊行された今年度の卒業生会報誌アイマガジン。
その中でも、JICA派遣により世界で活躍する卒業生を特集しました!

今回はJICA青年海外協力隊として、海外を舞台に活躍された卒業生、教官の3名にお集まりいただき体験者対談を開催しました。
また、現在派遣中の卒業生からリアルな現場の声も届いています!

そもそもJICA青年海外協力隊とは?
開発途上国・地域等の経済及び社会発展に寄与し、国際協力の促進に資することを目的に、多岐にわたる事業を行っている独立行政法人です。
具体的には、国際協力として現地で活動をする人材の確保や派遣活動、事業の管理や対象地域の課題についての調査や研究などです。

詳しくはJICAホームページをご覧ください。

私たちが世界に関心を持ったきっかけ

寺村僕が海外に目を向けるようになったのは大阪医専在学中でした。夏休みに初の海外旅行に一人で出かけ、価値観が変わりました。その後JICAという道があることを知り、就職時にはスキルを磨いて海外に出ると決めていました。

丸本私も旅行がきっかけになりました。在学中にJICAシニア海外ボランティアを経験した先生から体験談は聞いていたのですが、当時の私には夢の話で。タイ旅行で仲良くなった現地の人から資格があるならここで働けると言われて、にわかに当事者意識が芽生えました。

小竹私は高校時代から海外の人々の暮らしや価値観に興味を持っていて、高校生ながら理学療法士になれば、それらを実際に見聞きするチャンスがあるのではないかと考えていました。ただJICAを知るまでは、その方法はわかりませんでした。

寺村知るタイミングも重要です。我々はいいタイミングでJICAのことを知ることができた。普通に病院に勤めていたら普通にやっていける時代ですから。

丸本JICAは語学面でもフォローも受けられ現実的に行きやすいですよね。

小竹そうですね。JICAはサポートも研修制度もしっかりしているので、資格とキャリア、体力、意欲があれば海外での実務を実現できます。

寺村語学学習は大変でしたけどね。僕は中央アメリカにあるニカラグア共和国に派遣されましたが、もう死に物狂いでスペイン語を勉強しましたよ。

丸本タイ語も難しかったですね。医療用語も覚えなければいけませんので。しかし、リハビリ中に患者さんから教わることも多かったです。

寺村僕の場合、現地での生活が語学を学ぶのにいい環境でした。ホームステイ先の家族とは毎日トランプをして遊んだのでスペイン語も上達しました。小さな町で、50メートルも歩けば誰かから声をかけられ、話し相手には不自由しない。語学力を高めるには絶好の状況に恵まれました。

小竹私は社宅の一室で暮らしていました。プライベートは保たれたのですが、そのぶん人との関わりが少なく、どうにかしたいと考えていたら、同僚の子供に日本語を教えることになり、日本語教師的な活動もできました。

2年目には現地に何を残すのかを考えるようになった

寺村ニカラグアでは特別支援学校で働いていました。入学前の0歳児から5歳児に訪問リハビリを提供するのと、それとは別に5歳から18歳までの子供のサポートの二本柱でした。訪問はほぼ毎日でした。

小竹日本のリハビリの対象者は成人(特に高齢者)が多いので、普通にキャリアを積むと成人しか診られない場合が多いのですが、世界に出るなら小児のキャリアがあれば有利ですね。私がJICAを意識したとき、小児を経験しておくと幅が広がると聞いていました。実際ベトナムでは、整形外科リハビリテーションセンターで小児部門を立ち上げるので経験者に来てほしいという要請で出向きました。

丸本私はタイで施設内と訪問リハの両方に携わりました。配属先施設での活動の合間に、もっとタイの地域医療を知りたいと県内の病院を見学して、「日本から来た作業療法士です。協力できることはないですか」とお話しして回りました。

寺村ボランティアならではですね(笑)。僕がいたのは特別支援学校なので、医療職がまったくいなかった。リハビリに関してはすべて要求される状況がありまして、最初の1年は戸惑いました。お子さんにリハビリを提供しても、10年後を想像することが難しかったです。

小竹わかります。何のためにリハビリを行うかという目的の共有が大事ですよね。でもなかなか言葉でシェアできないし、行為しか相手に伝わらない。私も1年目はその場でベストを尽くすことしかできませんでした。

丸本2年目には状況も変わったのではないですか。

寺村2年目にすごく心境が変わりました。1年目は現地の事情に追いつくことで精一杯でしたけど、2年目には何を残すのかについて思案するようになりました。おこがましいかも知れないけど、自分が帰国したあとでも運用されるシステムとして、僕ではなく、母親が訓練に協力できる環境があればと考えました。そこで、福祉訓練の用具を置いたり、自宅の庭に平行棒を設置したり、誰にでも安全にできる器具を整備しました。

小竹私も何かを残して帰りたいという気持ちは強かったですね。その一つが勉強会でした。私の配属先はそもそも勉強会の土台がまったくなかったのですが、月に1回でもそのような場を設けようと動きました。最初は私の発表練習のような状況から始めて、次第に主体を同僚に移していこうと思って取り組みました。

丸本募集要項の段階では、現地の課題まではわかりません。実際に行って自分の目で見て、初めて状況が飲み込めることがとても多いですからね。

医療人の資格があったから海外を体験できた

丸本リハビリに対する考え方の違いも感じました。理学療法士と一緒に仕事を進めていたのですが、日本のやり方が当たり前だと思っていた私は、物理療法に使う時間がとても多いことに驚きました。私は楽しく笑ってリハビリをしたいと考えていますが、楽なことばかりではありません。だからこそできるだけ楽しくしたり、この人に会いに来たいと思ったりすることがモチベーションになるはずだと。外国人という立場ですから、最初は受け入れられるか不安でしたが、徐々に浸透してきました。それは一つの成果でしたね。

寺村アウェー感が……。

丸本最初は半端ないですよね。

小竹ベトナムでも庶民レベルでは、理学療法といえば物理療法というイメージが強かったですね。しかし現地にいて感じたのは、むしろ運動療法の技術を高める必要性でした。できるだけそれを残せるように努めたのですが、正直限界もありました。

寺村僕も日本の作業療法がベストだと思い込んでいた時期があり、当初は日本の治療を持ち込もうと考えていました。でもそれは間違いでした。特殊な技術よりも、母親たちがいつでも安全・簡単に訓練できる方法が“この国”に求められているリハビリなんだと気づくのに2年かかりました。だから帰国後は押し付けるセラピーではなく、患者さんが今何を求めているのかに思いを馳せるようになりました。JICAでの経験を通じて、他の価値観を受け入れるキャパシティは増えたのかなと思います。

丸本私もJICAの経験は、日本で正しいと言われていることが、実は決してそうではないと理解するきっかけになりましたね。

小竹私も日本を離れてみることで、日本を客観的に見られるようになったと思っています。

寺村色々な苦労もありましたが、行って良かったかと聞かれれば「良かった」と即答できます。教員として、そうした自分の経験を学生に伝えていくのもJICAボランティアOBの役割の一つではないかと思います。

丸本そうですね。私も学生には選択肢の一つとして海外というフィールドもあることを知ってほしいと思っています。医療人には資格という強みがある。JICAでも有資格者は選ばれやすいですからね。

小竹青少年活動やコミュニティ開発といった多彩な分野がJICAにはありますが、無資格でも行ける分野は競争倍率も高くなります。

丸本帰国後、仕事に戻るのも容易なので心に余裕が生まれます。実際私は1年間の充電期間を経て、教員の職に就いています。

寺村僕も教員になる前、1年間フィリピンに留学したんです。英語学習のためです。スペイン語だけではなく、2つ目の柱として英語を身につけようと考えました。

小竹日本にも外国人が多くなっていますので、医療通訳士のニーズが増えるという予測もあります。私はこの仕事に興味を持っていて、先日も東京での研修会に参加してきました。英語の通訳ができる人材は多いですが、医療通訳となると数少ないのが現状です。今は研修会でも英語と中国語がメインですが、いずれはベトナム語でも医療通訳を行えるようにしたいと思っています。

丸本職業として成り立つメドはありますか。

小竹まだボランティアレベルです。ただボランティアでは責任が負えないような命に関わる通訳が必要な状況も想定されますから、資格化していこうという動きもあるようです。

価値観が広がったことが一番の収穫

寺村JICAでの2年間を振り返って改めて思うことは、現地の人は、現地在住の日本人も含めて総じてやりたいことをやっているという印象が強い。現地の人たちは他者の目なんてお構いなしです。だから1年間フィリピン留学をしていたときは、語学力の向上という自分の欲求に素直になれていることにすごく気持ちが良かったんです。

小竹現地に行ったとき、まず何に違和感を覚えるかというとライフワークバランスの違いです。ワークに力を入れようと意気込んで臨んだものの、現地の人たちはライフに重きを置いている。日本人は働き過ぎと言われますが、医療人のほうが潰れてしまわないように気をつけないと。そのあたりの感覚は、日本を離れたから理解できたのだと思います。

寺村僕たちセラピストは患者さんに「何かやりたいことはありませんか?」とよく尋ねます。旅行とか墓参りとか、色々なことを言われますが、セラピスト側がやりたいことをできていないと本末転倒です。

丸本私もそうやって価値観を覆されたのが一番大きな成果かも知れませんね。タイの人たちも皆、生きることそのものを楽しんでいます。

小竹一方で共通点も見いだせました。言語や文化が異なっても、医療という対人援助は世界共通です。経済や文化など様々な分野の国際交流がありますが、医療でできる交流はもっとあるのではないでしょうか。

丸本タイの事例では、医療や福祉をめぐって国家プロジェクトレベル、民間のビジネスの双方で日本との交流がすごい勢いで進んでいます。

寺村丸本先生が行かれたタイでも今後日本のような少子高齢化社会の到来が予測されています。現在の日本の取り組みは、今後他国のモデルケースになる可能性があります。世界との交流をより進めて医療水準を共有することは、国際貢献の観点からも大切だと思いますね。

小竹 里佳さん

  • 理学療法士
  • 2008年 理学療法学科卒業
  • 京都下鴨病院 勤務

2014年~2016年、ベトナム・ホーチミン市整形リハビリテーションセンターにて、整形外科疾患、脳血管障がい後遺症、小児疾患などに関する治療に従事した。

丸本 裕子 教官

  • 作業療法士
  • 2005年 作業療法学科卒業
  • 大阪医専 教官

2014年~2016年、タイ・ナコーンラーチャシーマー県健康促進センターにて、入院および外来患者へのリハビリに従事。デイサービスや訪問リハビリにも参加した。

寺村 晃 教官

  • 作業療法士
  • 2007年 作業療法学科卒業
  • 大阪医専 教官

2011年~2013年、中米ニカラグア共和国にて特別支援学校の支援および訪問リハビリのほか、研修会の実施や福祉用具の作成などにも携わった。

※卒業生会報誌「i(アイ)」20号(2017年11月発刊)掲載記事

JICAボランティア派遣中の卒業生からメッセージが届きました。

スーダンで作業療法士として活動中

岩吹 綾子さん

  • 作業療法士
  • 2014年 作業療法学科卒業

大阪医専卒業後、大阪府の急性期病院に約3年勤務し、成人を中心とした作業療法に従事した。2016年5月に熊本地震の支援活動を行った。2017年7月よりJICA青年海外協力隊の作業療法士としてスーダンに派遣。首都の障がい児・障がい者通所施設に配属され、2019年7月まで活動予定。

赴任後、2017年8月から作業療法士としての活動が始まりました。配属先は、障がい児・障がい者通所施設で、同僚はすべて教員という日本の特別支援学校に近い施設です。集団に対して授業を行うこともありますが、9月より個別作業療法を開始しました。主な対象はADHD(注意欠陥/多動性障がい)、学習障がい、ダウン症、脳性麻痺を持つ子供です。スーダンにあるリハビリテーション専門職は理学療法士のみで、作業療法士と言語聴覚士の制度や養成校はありません。そのため対象者はもちろん、同僚も作業療法に触れるのは初めてという環境です。

スーダンはアフリカ大陸北部に位置し、アラブ文化とアフリカ文化がモザイク状に混在しています。国民の大半がイスラム教徒で、生活にも色濃く影響しています。食事は右手で食べることが多く、ADL(日常生活動作)に必要な能力も日本とは異なります。まずは個別作業療法で対象者とじっくり向き合い、現地の文化や風習を踏まえながら関わっていきたいと考えています。加えて、同僚や国内の同様施設のスタッフに「作業療法って面白いな」と思ってもらえるようなきっかけをつくり、作業療法のエッセンスを伝える機会を持てればと考えています。

在学中は授業、テスト、実習、国試と次々と難関が立ちはだかり辛いこともありましたが、卒業して振り返ってみるとどれも大切な経験だったなと感じています。私は夜間部でしたが、先生方には限られた時間の中でたくさんのことを教えていただき、とても感謝しています。学生生活や就職についても親身に相談に応じていただき、誠にありがとうございました。